この記事では、2013年に投稿された小麦畑さんの
『デンシャ』をプレイしてみてのレビューと考察をしていきます。
ゲームタイトルの通り、電車の車両を移動しながら、探索をして謎解きをしていくというADVゲームになります。
このゲームの面白いところは、電車は電車ですが、普通の電車ではないというところなんです。
車両を移動するんですが、それぞれの車両が独特なんです。
こんな感じで、様々な景色の車両が並んでいます。
最初はどういうこと?ってなるんですが、ゲームを進めていく内に、どうしてこんな内装になっているのか判明していくんです。
〇あらすじ
おばあちゃん家へ向かう電車の中で眠ってしまった主人公である少年。目が覚めると、何故か畳の部屋にいて、突然モノノケ達が現れる。目が覚めたそこは、どうやら不思議なデンシャの中のようで、モノノケ達に導かれながら、デンシャの探索を始めていくのだった…。
〇ゲーム概要
プレイ時間 1~2時間
ED数 1(途中分岐もなし)
ホラー要素なしということでしたが、ホラー的雰囲気はバシバシ感じました。
演出やBGMがそう感じさせるだけなので、お化けやビックリ系が苦手な方でも十分に楽しめる程度ではあると思います。
この独特の世界観や進め方の特徴を掴むまでは少し時間がかかると思いますが、やり方さえわかってしまえば、後はスムーズに進めることが出来ると思います。
さて、実際にプレイしてみた感想ですが…
手軽にできて、演出にも十分に満足できて、面白かったです!
個人的には、ちょいちょい詰まってしまうくらいに謎解きが難しかったんですが、次第にどういう風にプレイすればいいのかわかってからはスムーズにゲームの内容に没頭することが出来るようになりました。
あと、このゲームには小ネタが多く含まれているんですが、その小ネタを知っているかどうかで面白さが段違いかもしれないです。わかった時は「なるほど(笑)」となりますし、後から調べて「へぇー」ともなるので、わかってもわからなくても面白いことには違いないと思います。
電車の構造上、移動が大変な場面も多々あるという不満点こそあれ、
それ以外は不思議な雰囲気を堪能しながらプレイできるので、とっても良作であることに間違いはないと思います。
2013年という古いゲームではあるんですが、今から遊んでも全然問題ないくらいスゴイですよ!
まだ遊んだことのない方は是非遊んでみてくださいね!
さてここからは、『デンシャ』の考察を行っていきます。
完全なネタバレになりますので、充分注意してご覧になってください。
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この物語は、少年がおばあちゃんの人生という名の電車を追体験していく、という内容になっていましたね。
デンシャの車両のナンバープレートはおばあちゃんの年齢を表していました。
ここでは、おばあちゃんの年齢にそって、おばあちゃんの人生についての考察、それぞれであった小ネタについての考察を合わせて行っていきたいと思います。
(ここでは一貫しておばあちゃんを中心とした家族表記を行います)
・0歳(1935年)
後の出来事から逆算して、おばあちゃんは1935年生まれである。
車掌の「終わりの始まり」という言葉は、いつかは終わりが来る人生の始まり地点であるという意味になる。真っ黒い渦や「私はそこにはいない」との言葉から、ここでの思い出やおばあちゃんの自我は特にないということを言っているのだろう。車両が極めて簡素な内装になっていることからもうかがえる。
・3歳(1938年)
父が祖父の事業を引き継いで、南方で手広く事業を行っていることが明かされる。
南進論の影響を受けていると仮定すると、おそらく事業拠点は東南アジアで、父はそこで東南アジアの国々と日本の貿易関係の仕事をしていたと考えることができる。
・4歳(1939年)
おばあちゃんと母が、マラリア蚊を媒介とした三日熱マラリアに感染する。日本に帰国するきっかけになるのだが、ここで母親が命を落としてしまう。
三日熱マラリアの症状の特徴としては、48時間ごとに発熱を繰り返すことが挙げられる。これはおばあちゃんの発言からもわかる。
ちなみに1940年ごろ、シンガポール・マレーシアでの三日熱マラリアの感染確率が高かったようだ。上記のことも考えると、東南アジア(マレー半島)で生活していた可能性がぐんと高くなった。
「遠い国で争いが起こりつつある」というおばあちゃんの発言通り、1939年は第二次世界大戦が勃発(詳しく言うなら、英国と仏国が独国に宣戦布告した)した年である。日本への影響はまだまだ少ない時期だっただろう。
・6歳(1941年)
1941年は太平洋戦争勃発の年、そして真珠湾攻撃があった年である。
「真珠が1つある(真珠、ワン)」「虎が3匹(トラトラトラ)」からも、真珠湾攻撃についての描写がおおくあることがうかがい知れると思う。
この「トラトラトラ」とは、日本軍による真珠湾攻撃が奇襲により開始されることを伝えた電子暗号のことで、つまりは「ワレ奇襲ニ成功セリ」という意味である。背景で流れるラジオからも、「アメリカ、真珠湾、奇襲せしり」などと言った言葉が聞き取れるかと思う。
そして、もう一つ、ここでは虎がバターになる描写がある。
これは「ちびくろサンボ」という絵本が元ネタになっている。ちびくろサンボでは、インドの少年が主人公であり、実際に虎がぐるぐる回るうちにバターになってしまったというシーンがある。
ちなみに「ちびくろサンボ」は英国の作家が書いたが、この当時アメリカ出版の海賊版が多く出回っていたようなので、おばあちゃんの持つ絵本はこの海賊版であった可能性が高いと思われる。
・9歳(1944年)
父親が戦争に出兵するのを見送った。
戦争末期のこの時期、何か国語も話せる父が邪険にされたり、ちびくろサンボ(おそらく英語)を燃やしたことから、日本国内もかなり精神的に疲弊していたのだろうことがわかる。
この出兵で父親は亡くなってしまったと考えられる。
また、窓の外の様子や空襲警報、火の雨という描写から、幾度とない空襲を受けていたようだ。父の事業や大規模な空襲から、東京大空襲を受けたのだと推測されるが、詳しくはわからない。本ゲームに描写はないが、もしかしたら疎開をしたこともあるかもしれない。
・10歳(1945年)
終戦は8月とされているので、夏のニオイが立ち込める真っ只中のことであった。
おばあちゃんはしきりに「セカイがおわってしまった」と話しているが、当時の日本の負けは日本の消滅を意味していたことからの考えであると予想される。
実際にGHQは日本を解体する気満々だったという話もあるから、今の日本が継続しているのはある意味奇跡なのだろう。おばあちゃんも「セカイはおわった」と思いながらも、なんだかんだ生きていけた、日本は終わらなかった→なんだかんだ世界は続いていくという価値観をここで作り上げたに違いない。
この10歳の部屋には鍵が2つ必要なほど、厳重に閉じ込められた記憶の中にあったので、他の記事では戦争に対する記憶を封じ込めたと書いてあるのも多いが、それは厳密には違うと思う。
おばあちゃんが閉じ込めたかったのは、戦争そのものよりも「セカイがおわったと感じるほどの絶望感」を封じたかったのだと思う。後の37歳の記憶になかなか辿りつけないのも、これと同様の理屈でなりたっていると思われる。
・12歳(1947年)
新制中学への入学祝いで、おじさんとレストランに来ている。
1947年に学制改革が起こり、それまで小学校までが義務教育であったところを、小学校6年、中学校3年を義務教育とする(現代と同じ)制度に変わった。
また、ここで父親ではなく、おじさんと来ていることからも戦争で父親は亡くなってしまったと確定づけることもできる。
・15歳(1950年)
中学を卒業したおばあちゃんは、工場で働く事になった。工場で作られた製品は、青い目の兵隊さん(おそらくアメリカ人)へ送られる、という描写がある。
1950年は朝鮮戦争が勃発した年である。おそらく、おばあちゃんは軍事工場で働いており、そこで作られた軍事製品をアメリカに渡しているということであると考えられる。
中学を卒業したら、多くの人がこのような工場へ就職したのだろう。おばあちゃんもその波にのまれながらも、そこに不満を募らせていたのだと思われる。(思春期の女の子にしてみれば、相当不満だっただろう)
・18歳(1953年)
白黒テレビが誕生し始めた頃である。もちろん、最初はテレビは高級品であるため、店先や街頭に並ぶ白黒テレビを皆で眺める光景が多くみられたことであろう。
サラリーマンの月給3万の時代で、白黒テレビの値段は30万とのことから、いかに高級品であったかは言うまでもないだろう。
テレビから「ピッチャー…」との言葉が聞こえるが、おそらくこの年活躍した読売ジャイアンツの投手、大友工/工司のことでないかと推測される。
おばあちゃんが切符を嬉しそうに持っているのは、電車に関する新しい規律が制定されたことを示唆しているのかもしれないが、詳しくはわからなかった。
・21歳(1956年)
12歳の中学進学祝いのときと同じレストランで給仕を始めた。
おばあちゃん目当てでやって来る常連客がいたようで、おそらく夫との出会いのシーンをあらわしていると思われる。
・25歳(1960年)
この年、おばあちゃんは結婚した。
小さい時から大好きな赤い花のブーケを持っている。
ここで登場する真珠のネックレスは、幼い頃に父から貰ったものである。元々は母のものだったらしい。真珠が一つ欠けていたというが、空襲を受けた時も、終戦の時も、このネックレスを守り続けたと考えるだけで、どれだけ大事にしていたかがわかる。
母と父の形見ともいえるので、当たり前なのかもしれないが。
・29歳(1964年)
第一子が誕生した。ここで生まれたのが、娘か息子か議論があるが、おばあちゃんの子どもは1人ではないと思われるため、この場合はどちらでも問題ないと思われる。(詳しくは後述)
赤い花を花瓶に生けると物語が進むので、いかに赤い花が好きなのかわかる。
この年は、東京オリンピックが開催された年である。「誰それがメダルを取った」
「どの競技がはじまった」などの発言からも推測できると思う。
これの取材で忙しく、旦那は妻の見舞いにも来れない。おそらく旦那は記者やテレビ関係者など、メディア関係の仕事を生業としていた可能性が高いだろう。
・37歳(1972年)
おそらくこの火事は、1972年に大阪で起きたビル火災「千日デパート火災」を指しているものと思われる。
そして、この火災に巻き込まれて、旦那が死去したと思われる。
この37歳に相当する車両の前後の車両からは、熱風によって進めなくなっており、10歳時の終戦と同様に、ここも間接的に封じ込められていたと考えることができる。
終戦時は日本というアバウトな世界が終わったが、この火災によっておばあちゃんと夫によって作り上げた家族という世界が終わったことが示唆されていると思われる。
・51歳(1986年)
おばあちゃんが、もう一度勤めを始めた様子がわかる。
おそらく結婚を機に、前の職場は辞めたのだろうが、火災で夫を亡くし、蓄えが少なくなったことで子どもを育てられないと考えたことで再度働き始めたようだ。
ここで、前述の子どもの話になるが、もし29歳の時にうまれた子どもならば、既に22歳と充分な大人であり、子どもを育てられないという発言に違和感が生まれる。それならば、あの後に第2子、第3子と生まれており、その子らを育てていると考えた方が理に適っている。
37歳で夫を亡くして、随分と時間が経ってから働き始めたのも、子育てで仕事につけなかったからだと考えることも出来る。
また、「大きな爆発」「天に尾を引く星」などの表現が出てくる。これは「ハレ―彗星」のことを表している。この年、ハレ―彗星が地球に最も近づいた年であり、同時に様々な終末説がおこっていたようだ。
おばあちゃんはこの終末説を、終戦や火災の経験を経て、「世界は終わっても、世界は続いていく」とある意味否定的に考えているような描写がある。
・52歳(1987年)
おそらく娘の結婚式があったと思われる。
息子嫁とする説もあるが、真珠のネックレスを渡したいという言葉や、結婚式に色々口を出していたことから、娘説の方が有力である。結婚衣装などは通常、母から娘へと受け継いでいくものであるので、娘の方が理解しやすい。
ちなみに、娘は黄色い花のブーケなど、黄色い花が好きなようだ。
・62歳(1997年)
孫(本ゲームの主人公の少年)が誕生した。
黄色い花を花瓶に差すことで物語が進むので、上で書いた結婚した娘が出産したのではないかと考えられる。
ここで、「私がいなくても世界は続いて行く」との台詞があるが、これはこれまでの否定的で悲しいものとは異なり、明るくて未来を向いた発言であると思われる。
自分を取り巻く世界とは別の世界(娘とその夫が作った家族という世界)に、確かに自分からつながっていると分かる孫が生まれたということが、そう思わせたんだろうと思う。
何度も「ありがとう」と呟くのは、ここで価値観が少しいい方向へ変わったことを自覚して、それを教えてくれた娘と孫に対する感謝の気持ちだったのかもしれない。
・71歳(2006年)
おばあちゃんが人生を終える年。
「仮装場」と「火葬場」がかけられている。
46億という歳月は、地球の年だが、
「人の人生」=「その人にとっての地球(世界そのもの)」
という作者の考えを表しているのだろう。
この先の車両への合言葉は、おばあちゃんから孫への言葉だった。
ちなみに、18歳のプレートをいくらひっくり返しても、81歳の車両へ行けなかったのは、おばあちゃんの電車(人生)は71車両までしかなかったためである。
・真っ白の世界
ここでは、女のモノノケが人間の構成物質を言っている。
ここは意思などから隔絶された、身体そのものの世界ともいえるかもしれない。
・なんでもない世界
ここは、おばあちゃんの深層心理というか、車両として確立されなかった色々なものが集まってくる世界であるといえる。
この2つは、どの車両からも行ける、夏を連想される描写が多いという共通点がある。もしかしたら、おばあちゃんの人生には夏のニオイがしみついているのかもしれない。
・エンディングロール
ここは主人公である少年の人生の車両を見ることが出来る。
0歳の生まれた時は、黄色い花のある病室(おばあちゃんの車両と同じもの)からスタートし、家の様子や幼稚園、学校、おばあちゃんちの庭、田舎の景色など、それぞれの重要な思い出を垣間見ることができる。
最終的に、タイトル画面の所に戻ってくる(長い夢から醒める?)のですが、そこで少年のお父さんにおばあちゃんが死んだことを伝える。
少年の母親は娘なので、一足先におばあちゃんの傍についていて、後から娘の旦那が孫を連れておばあちゃんのところへ向かっていると考えると、その様子がよりリアルに想像できると思われる。
ある意味「虫の知らせ」にも近い本作。
日本独特の雰囲気を存分に感じさせられた。
個人的にはモノノケ達は死神というか、妖精というか、悪い存在ではないと思っている。それよりは、あのモノ売りの方が明らかによくわからなさすぎて、怖いところではある。
おばあちゃんの最期の言葉『サヨナラ』、グッときました。